2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

twitter

  • twitter
無料ブログはココログ

« ゴミを他人に押しつけるくせに、何この態度? | トップページ | ネット失職を考えるための論理 その2 »

2012年6月26日 (火)

ネット失職を考えるための論理 その3

今回、ツイートに対する抗議を桐生市議会が受け付けている。しかし、議会は庭山議員の保護者ではない。なぜ、庭山議員の「暴言」に対して、議会が対応しなくてはならないのか。議会は、庭山議員に直接抗議せよと「被害者」を促せばいい。本人に直接抗議をするのが本筋である

暴言ならば放置しておけばいいのだ。そんなにはっきり暴言と分かるのならば、放置しておいて何の問題もない。ネットにおいてはスルーする力が必要なのだ。暴言はたくさんある。全てに対応していては、大変な労力を取られる。

その暴言が一定の支持を得そうな場合は、徹底的に批判すればいい。論破すればいい。自分の考えが多数の支持を得られる形にすればいい。暴言はスルーする。そうでなければ、批判して暴言の影響力を下げればいい。

桐生市議会は庭山由紀議員を除名した。告発者は満足かもしれない。しかし、「暴言」は続くだろう。何しろ問題になっているのは、議会内での発言ではなくツイートなのだから。ツイートを止めさせる訳にはいかない。

問題は、庭山由紀氏が議員だから起きた訳ではない。だから、庭山氏の「暴言」に対処するためには、庭山氏を直接叩くべきである。「暴言」を徹底的に批判するべきである。議会に対応を求めるのは筋違いである。

この意味で、告発者が〈庭山氏を議員で無くすこと〉を狙うのは無意味である。ツイートが許し難いのならば、言論でツイートを批判すればよい。徹底的に論破すればいい。それで納得いかない場合は、名誉毀損訴訟・損害賠償訴訟を起こせばいいのだ。

ネット上の発言については、本人に責任を取らせるべきなのだ。しかし、所属集団に文句を言って罰を与えようとする風潮がある。このような行動は非民主的である。「水戸黄門」的である。封建的である。偉い人に罰を与えてもらおうという発想である。

疑問がある。ツイッターでの発言は、庭山氏の議員としての発言なのか。つまり、議員である人間は24時間議員なのか。違う。人間には様々な側面がある。庭山氏のツイートは一個人としての発言ではないか。個人としての発言には、議会は関係ない。

個人のネット上の発言は、所属する組織とは無関係である。そう考えなければ、組織の方も大変なのだ。個人のネット上の発言を組織がコントロールすることは出来ない。また、するべきでもない。そして、今後、議会・会社などの所属組織に苦情を持ち込む例はどんどん増えるだろう。

確かに大量の苦情が来ることはある。しかし、組織は気を確かに持たなくてはいけない。数百の苦情が来ても、それは「祭り」である可能性がある。ネットを利用した「愉快犯」である可能性がある。現に、私は「河本はもういい。庭山を辞職させよう」という書き込みを見た。

ネット上の「愉快犯」による組織的な苦情は民意ではない。だから、ネット社会では、苦情の数で重要度を判断するのは危険である。それは「祭り」かもしれない。桐生市議会は七百の苦情が届いたと言う。しかし、その中身が問題である。当事者である桐生市民からの苦情は何割なのか。

個人のネット上での発言への苦情を所属組織に持ち込む風潮がある。個人の発言は所属組織とは関係ない。人間は多面的である。組織とは仕事という一側面で関わっているだけである。だから、そのような苦情を組織が受けつけるのは筋違いである。また、組織にとって危険でもある。

ネット上の発言で議員が失職させられた。今後も同様の事態が起こるだろう。議会でも会社でも。それは不当である。二つの理由を詳しく説明した。

発言を理由にクビにするのは言論の自由に反する。

2所属組織が成員のネット上の発言を問題にすること自体が筋違いである。

« ゴミを他人に押しつけるくせに、何この態度? | トップページ | ネット失職を考えるための論理 その2 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ネット失職を考えるための論理 その3:

« ゴミを他人に押しつけるくせに、何この態度? | トップページ | ネット失職を考えるための論理 その2 »