私の3.11の過ごし方
「地震が起こった3月11日の午後2時40分ころ、庭山さんは何をしていますか?」って記者に聞かれた。
庭山:何もしません。
記者:何も?黙祷とかは?
庭山:しません。して欲しいですか?
記者:いえ。そういうわけじゃ。何をしていますか?
庭山:いつもどおりです。翌日、仲間のママたちと陳情に行くのでその準備をしていると思います。
記者:それを取材に行ってもいいですか。
庭山:いいですよ、別に。
・・・ということで、黙祷もせず、陳情の準備をしていた。それをカメラがずっと撮っていた。
私の中では、3.11は終わっていない。毎日が3.11。何も解決しないまま、ただ、いたずらに、2年が過ぎた。
そしてこれから、長い時間をかけて、放射能でたくさんの人が、死んでいく。
何も終わっていないし、何も見えない。
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